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卒園児にきいた!幼稚園のココがよい!

 

 

ふじつ眼科
院長

藤津 揚一朗

 

<幼稚園の思い出>


あっという間に歳をとり、幼稚園を卒園して、はや37年が過ぎようとしています。私が通園していたころは、名前は藤山幼稚園という名称で、制服があり、それを毎朝着てツバメ号に乗って通っていました。年長時はまつ組で、担任は中村サツ子先生でした。子供の幼稚園の行事の際、来賓で来られていて、久々にお会いでき、とても嬉しく思いました。

その当時つき組を担任していたのが、現園長の末永順子先生でした。自分の子供が入園してから、お会いした際、当時のことをよく覚えられていて、当時のまま「ようちゃん!」と呼ばれるのですが、気恥ずかしい反面、少し嬉しく思う自分もいます。

当時の思い出は、たくさんありますが、特に芋ほりとクリスマス会が印象に残っています。掘ると出てくる芋が嬉しくて夢中だったことを覚えています。また、クリスマス会では、園長がサンタの格好をしてくれたこと、たしか当時は香川学園の体育館で行っていたような記憶があります。40年近くたっても色あせずに、楽しい記憶として残っているのですから、息子・娘が同じ幼稚園に通園し、時代を越えて、同じ経験を共有できることはとても素晴らしいことだと思います。きっとこの頃の思い出というのは誰が、何歳になっても色あせることがないのでしょう。そんな時期をこの幼稚園で過ごせたことを誇りに思います。

 

幼稚園の思い出

 

 

梶井歯科医院
院長

梶井智泰

 

<幼稚園の思い出>


とにかく、幼稚園に行くことは楽しく、毎日友達と遊んで、遊んで、遊んで・・・という記憶しかありません。

わんぱくだったと思います。

生活発表会では、「ねずみの嫁入り」をクラスのみんなとしましたが、私は、「かべ」でした。

今考えると、あの時のかべをやった友達は、みんなわんぱく仲間でした。

 

<我が子を幼稚園に入園させた思い>


自分が通って楽しかったのと、新卒でクラス担任だった末永順子先生が、今、園長先生になられ、当時の良さにご自身のキャリアをプラスさせて、よりよい幼稚園になっていると期待しましたので、入園させることを決めました。

現に、我が子も毎日楽しく通い、季節ごとの行事等を大いに楽しんでおります。

 

藤山幼稚園の思い出

 

2001年度卒園

堤 悠佳子

(桃山中学校 3年 )

 

毎朝黄色いバス、ワンワン号に乗って幼稚園までドライブする。これがまず幼稚園といって思い出す光景です。今でも通学途中などに幼稚園のバスを見かけると、懐かしい思いでいっぱいになります。そしてどの先生が乗っていらっしゃるのか確かめたくなってしまいます。

近所にちょうど良い遊び友達のいなかった私にとって、幼稚園とは初めて接する家庭以外の世界でした。母や祖母は当初うまく馴染めるか心配していたようですが、拍子抜けするくらい早々と幼稚園生活に溶け込んでいったそうです。

毎日何をしていたのか漠然とした記憶しかありませんが、絵本を読んでもらったこと、表現遊び発表会で劇をしたこと、遠足でいろいろな場所に行ったこと、夕涼み会で太鼓をたたいたこと、お泊り保育でお友達と一つ部屋で眠ったこと、運動会で一生懸命走ったり、ダンスをしたりしたことなどが大きな思い出です。

自宅でもよく本を読んでもらっていましたが、幼稚園にはさらに多くの絵本があり、先生方が選んで読んでくださったことで、読書の世界が広がりました。特に『ぐりとぐら』のシリーズや『エルマーの冒険』などが私のお気に入りでした。延長保育のときに図書室で時間を忘れて本を読んだことも懐かしく思い出します。この経験が私の読書好きに大きな影響を与えたと思います。また、表現遊び発表会での劇はお友達とのいつものごっこ遊びからもっと大きな非日常の世界へと私たちを連れて行ってくれました。

先生方の暖かい愛情と、楽しく規則正しい集団生活が小学校生活への扉を開いてくれたのだと思います。

私はこの幼稚園で過ごすことができて本当によかったと思います。

 

藤山幼稚園の思い出

 

 

善福寺
島地 担さん

現在、善福寺住職

 

私の藤山幼稚園の一番の思い出は、なんと言っても発表会のにわとりの役でした。話の内容は全く覚えていないのですが、とさかと嘴をつけて「コケコッコー、朝ですよー!」と台詞を言わなければならないのです。しかし、ステージに立ってみると、大勢の観客のみなさんの視線がとても怖いやら恥ずかしいやらで、何も言えずにステージから逃げ帰ってしまって。その度に先生に連れ戻されて、三回目にようやく台詞を言えたことは鮮明に覚えています。
今、僧侶として大勢の方の前で読経や、お話をすることがあまり苦もなくできるのは、このときの経験が生きているのでしょう(苦笑)

また、先生方にはとてもお世話になりました。年少組の担任の先生には結婚式にご招待をいただき、花嫁姿の先生に花束を渡したことをよく覚えています。園児と先生がまるで家族のような関係になることが藤山幼稚園の魅力ではないでしょうか。私も娘を2人授かりましたが、2人ともこの藤山幼稚園でお世話になっております。
自由な園風と、先生と園児との親密な関係性は藤山幼稚園の大きな魅力ですが、その魅力は今も昔も変わらず感じられてとても嬉しく思います。子供にとっても保護者にとっても安心できる場所、それが藤山幼稚園の良さだと感じております。

 

卒園児にきいた!幼稚園のココがよい!

 

 

そごう音楽教室
(ヤマハ音楽教室)
十 河 京 子 さん

 

幼稚園での思い出は、運動会のリレーをした事、わんぱく祭りで米袋を利用して(当時の米袋は紙製)はっぴを作って、それを着て踊ったり、お店やさんごっこをしたりした事、発表会で「3匹の子ぶた」の子ぶた役をした事などです。園生活では、私は大人しくてあまりしゃべらない子供でしたが、体を動かすのが大好きで、鉄棒でさか上がりの練習をするなど、外でよく遊んでいたのを覚えています。また、先生がピアノを弾きながら歌を歌ってくれた事が、子供だった私にとって憧れとなり、将来幼稚園の先生になって、ピアノを弾いて歌ってみたいという思いが芽生えました。しかし、残念ながら幼稚園の先生にはなれませんでしたが、今は音楽に携わる仕事をしています。
その後、母として幼稚園を訪ねると、昔と変わらない先生方、園舎、行事、懐かしさと、制服がなくみんな裸足で活動している姿に少し驚きました。でも、子供たちが活動しやすい服装で汚れを気にすることなく遊んでいてみんなキラキラの笑顔です。一生懸命作った泥団子は創意工夫されていて子供たちの知恵がいっぱいつまっています。
主人と相談の上、上の子供は2年保育で入園を決めました。卒園の時上の子供の本当に楽しそうな顔を見て入れてよかったと思いました。なぜ3年保育をしなかったのかと思い、下の子供は二人とも3年保育にしました。
自分たちで考える!何でもがんばる!やってみる!宇部フロンティア大学付属幼稚園は、今も昔も変わらず子供たちを生き生きと元気にしてくれます。

 

東京大学卒業後、外務省勤務

 

 

村岡 楓公 さん

 


 

10年以上前のことですから、あまりはっきりとした在園時の記憶ではないのですが、妙に覚えていることもあります。 
思えば、今の僕を形成しているものの基礎はこの幼稚園に由来しているように思えるのです。当時の僕たちといえば、よく園庭で遊んでいました。築山を登ったり遊具と戯れたり、多くの遊びは幼稚園で覚えました。スケッチをする時間はあったものの、いつも外ではしゃぎ回る僕たちを叱って無理にスケッチをさせるようなことはしませんでした。型にはめない先生方の教育のおかげでのびのびと育つことができ、それが創造性や独自性に寄与したことは間違いないと思います。ただ、そうは言っても野放図であるわけではありません。給食当番など、当たり前のことですがきちんと協力してこなすことや、また、規則に従うことも学び、責任感や協調性も体得していきました。自分たちで竹馬を作ったり、日頃触れることのない工具を使って作業したりといった貴重な体験もしました。
振り返ってみると大勢の友達、尊敬できる先生方や素晴らしい施設と、本当に恵まれた幼稚園時代を過ごしたものです。

 

自由だからこそ見つかる個性

 

 

元劇団四季俳優 射場(現・島田)香澄さん


 

幼稚園の頃工作をしたりごっこ遊びをしたり想像や創造することが楽しかったのを覚えています。毎朝パンツ一丁での乾布摩擦も楽しかった思い出の一つです。


なかでも、表現遊び発表会はとても楽しい思い出として残っています。お友達との台詞のやり取りや歌って踊ったりすることで、人前に立つ楽しさや喜びを経験しました。卒園後、私は歌や踊りを仕事とするミュージカル俳優を目指しました。奮闘の末70倍のオーディションに合格し劇団四季の俳優になることが出来ました。劇団四季では『ライオンキング』に出演し、チーターや雌ライオンなど沢山の役を演じました。その他、『全日本きもの装いコンテスト世界大会』『ステージ101コンサート』『魔女の宅急便』等に出演しました。それももとを辿れば、幼稚園時代の発表会がきっかけだったのではないかと思っています。また、年長の時担任だった中村サツ子先生が園児の私に発表会の振付を任せてくださいました。とても嬉しかったのを覚えています。宇部に帰った今でも振付の仕事に関わっているのは、これらの経験があったからかもしれません。

 

私が通っていた頃、藤山幼稚園(現フロンティア幼稚園)は自由保育を掲げておられました。自由とはいっても好き勝手にするのではなく、自分でしっかり考え、遊び、自由だからこそ見つかる個性を引き出して頂ける楽しくて素晴らしい幼稚園だったと思っています。

母親の立場になり、娘もフロンティア幼稚園に通わせることにしました。

園長先生や先生方は変わられても、軸は変わらず素晴らしい幼稚園だと感じています。

不安なことがあれば親身に相談にのって頂き、子どもをよく見て頂いています。幼稚園に通い出して、恥ずかしがりやの娘が少しずつ成長しており、本当に先生方に感謝しています。私がそうだったように、娘にものびのびと育って欲しいと思っています。

 

最後になりましたが、創立80周年を迎えられましたことをお喜び申し上げます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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